《ヌーヴェルバーグSF対決》

【感想】ヌーヴェルバーグSF対決「華氏451」「アルファヴィル」初日の様子+感想!

シアター・イメージフォーラムにて。

本日2014年12月27日から開催の《ヌーヴェルバーグSF対決》の「華氏451」(フランソワ・トリュフォー)「アルファヴィル」(ジャン=リュック・ゴダール)を見てきた。1月16日までやっているのでお見逃しなく!

開場のシアター・イメージフォーラムに10:15分頃到着。開場は10:30だったので、缶コーヒーなどの見ながら待つ。待っている人は5-6名。しかもその人達は11:00上映の「パーソナル・ソング」のお客さんで、整理券番号1番は私だった。隣のスターバックスで「華氏451」上映時間11:30まで時間つぶし。バナナ(80円)を食べたり。

お客さんの入りは6割くらいのような気がした。朝だからだろうか。14:00の「アルファヴィル」も同じくらいだった。なので隣に一席あいた状態で見られた。

さて、ふたつを見終えた感想。ネタバレをするのでこれ以降ご注意ください。

どちらも行き過ぎた監視社会のディストピアから主人公が開放される話という点では共通している。また、ヴィジュアルエフェクトや大掛かりなガジェットがほとんど登場しない。

「華氏451」

主人公ガイ・モンターグは「ファイヤーマン(辞書的な意味では消防士)」という職業だが、火事を消化するわけではなく、人々から書物をとりあげて燃やす職業。(そもそも防火建築でほんとうの意味での消防士は存在しない)華氏451度は「紙が燃える温度」(日本でお馴染みの摂氏なら233度)人々は、書物を読まずに、テレビを見ている。テレビも、パーティでの席順マナーなど、娯楽的な要素が一切ない。そんな生活から、モンターグは隣人のクラリス(内緒で読書をしている)に惹かれながら、隠し持っていた書物を読み始め、監視社会から逃れていく。

まず、ちょっと否定的な感想を先に述べておくと、この映画は「本を読む人たち」の制限された欲求についての映画だ。しかし言葉や文字は当然存在する社会なので、言葉や文字が存在する以上、「本を読む人たち」だけではなく「本を書く人たち」の存在にもスポットを当ててしかるべきかと思う。本を書くことがどれほど制限されているかには触れられていない。また、小説や思想書、伝記が否定される理由は述べられていたが、技術書やマニュアル本などは一切触れられていない。監視社会にはあるはずだと思うけど。

しかし、クラリスとモンターグが最後に流れ着く「ブックマンたちの世界」のユートピアが面白い。書物が禁じられた世界で読書を楽しむために、人々は本を丸暗記している。◯◯の本は誰々に聞けば教えてくれる、という形で口承で読書を楽しむ。森のなかでうろうろと書物を諳んじながら、歩く人達。この光景は実は本を媒介とした読書よりも良い形の物語や知識の伝え方なのではないか、と何となく思う。おそらく物語や知識を人から教わりたるほうがよいのではないか。それが非効率的だから活版印刷以降、書物が活用されてるだけで。昔の日本でも書物の奥付に著者の住所があり、読者と著者がより直接的なコミュニケーションができていたそうだ。

さて、モンターグの妻・リンダとクラリスを一人二役で演じたジーン・セバーグが可愛い。
afah451cover17
ショートカットのクラリスのほうが好きだな。

余談:2004年にアメリカのマイケル・ムーアが制作した反ブッシュ映画「華氏911」(これは「自由が燃える温度」とのこと)のタイトルに、レイ・ブラッドベリが猛烈に怒っていた。「了解もなしに、数字だけを変えて題名を使った」、「恐ろしい人間だ」

「アルファヴィル」

<wikipediaより>

コードナンバー003を持つシークレット・エージェント、レミー・コーションは「フィガロ=プラウダ紙のジャーナリスト、イワン・ジョンソン」を名乗り、感情や思想の自由など個人主義的な思想が排除された都市・アルファヴィルへと潜入する。彼の目的は、失踪したエージェントのアンリ・ディクソンを探すこと、アルファヴィルを建設したフォン・ブラウン教授を逮捕または抹殺すること、アルファヴィルを管理する人工知能アルファ60を破壊することであった。

こちらはトリュフォーの「華氏451」が非常に淡々と物語を展開したのに対し、ゴダール節炸裂のワクワクギミックで吸い込まれていく。要は007や「2001年宇宙の旅」的なもの(実際には「2001年宇宙の旅」は「アルファヴィル」の3年後に作られるわけだが)を俺(ゴダール)がやったらこうなる、みたいな映画だ。アルファヴィルを管理する人工知能アルファ60は2001年宇宙の旅のHALを思い出す。

アルファ60の台詞でアルファヴィルが誕生した経緯が語られてたのが印象的だった。正確に記憶していないのだが

1という数字を知っていると2という数字をがあると人間は想像してしまう。なぜなら1+1は2だからだ。最初の「+」という概念を忘れ去っている。このようにして、人間は過去のロジックを破壊してきた。(もし違ったらごめんなさい)

演出やストーリー、映画の文法においてもロジカルさのさじ加減が基本的に固い。それなので時にあえて破綻させられていて、揺さぶられる。(とはいえこの映画はとても解りやすい)

ゴダールといえば、高校生の頃「勝手にしやがれ」を見て、全く理解できずにゴダール恐怖症になり、それから10年位食わず嫌いしていて、「女は女である」を何かのはずみで見た時、「なんだかわからないけどアンナ・カリーナがとてもかわいいポップな映画だ!」と安心した。今回もアンナ・カリーナは可愛さというより、ダークな美人さが際立った。

「アルファヴィル」の台詞をimdbのQuotesで見返して、こんなのがあった。正確にどの場面で入ったのか覚えていない。

Alpha 60: Sometimes reality is too complex for oral communication. But legend embodies it in a form which enables it to spread all over the world.(もともとの言語は勿論フランス語)

時として、現実は複雑すぎて口頭でのコミュニケーションでは伝わらない。しかし、言い伝えがそれを世界中に広がるほどの形に具現化させる。

「アルファヴィル」の台詞が奇しくも「華氏451」のラストにつながった気がする。

余談:村上春樹とゴダールの『アルファヴィル』に「村上春樹とゴダール」について、また「村上春樹はなぜラブホテルに『アルファヴィル』という名前を与えたか」について書かれています。両者がお好きな方はどうぞ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です