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ジャン・ピエール・ジュネ監督「天才スピヴェット」を見てきた!

ジャン・ピエール・ジュネ監督「天才スピヴェット」を見てきた。

あらすじ
(yahoo映画より)
天才だが、それゆえに周囲との溝を感じる10歳の少年T・S・スピヴェット(カイル・キャトレット)。そんな彼にスミソニアン学術協会から、最も優れた発明家に授けられるベアード賞受賞を知らせる電話が。授賞式に出席するため、彼はたった1人で家のあるモンタナからワシントンへ旅立つことに。さまざまな出来事や人々と出会いながら、カウボーイの父親、昆虫博士の母親、アイドルを目指している姉、事故によってこの世を去った弟へ思いをはせるスピヴェット。やがて彼はワシントンに到着し、授賞式に臨む。

「アメリ」では主人公のアメリの妄想を緻密に、ややグロテスクに描写したジャン・ピエール・ジュネ監督。本作では少年の心象風景を3Dで描き出す。特に一卵性双生児の亡くなった弟はよく登場する。生前は体格や運動神経の点で劣っているため主人公TSはコンプレックスをいだき、一緒に遊んでいて銃の暴発で亡くなってからは罪の意識を感じており、旅の途中で弟が「いつも一緒だよ」と出てくる。授賞式のスピーチの段になってようやく弟への罪の意識を言葉に出来た。私は思わず泣きそうになった。ささやかなコンプレックスを抱きつつ、誰よりも仲がよく、自分のせいで亡くなったかもしれないという、複雑な感情。

主人公の名前はT・S・スピヴェット。T・Sとはテカムセ・スパロウ・スピヴェット。ライフラーセン「天才スピヴェット君」を原作としている。

映画では本人の名前「スパロウ(=スズメ)」が話の肝になる。TSが旅に出た時、トゥー・クラウズという男にであい、スピヴェットにおばあさんから聞いた「松の木の話」をした。

「昔々、スズメの親子がいて、親は病気にかかってしまった。子どもたちを南に行かせて冬をこすことにした。オークや桃、柳などの木たちはスズメを木の中に泊めることをいやがったけど、松の木だけはスズメを冬から守ってくれた。
神様はスズメを守らなかった罰として、ほかの木を冬に枯れされることにした。」

TSは科学的な考証を交えて反論する。

「松の木の針葉はスズメのような大きさの鳥を温めることができない。おばあさんは嘘をついたんだね」

TSのスパロウ(=スズメ)と言うのはこの物語になぞらえられる。TS自身が松の木を探すたびに出ていたのだ。

そうすると、最後にTSにとっての松の木が現れた事がわかる。

ところで、主人公のテカムセってどこの国の名前だろう?と思い調べてみたが、Tecumsehとはショーニー族の言葉で「流れ星」、または「天空を横切る豹」、「待ち伏せしている豹」という意味を持ち、実在するネイティブアメリカンのショーニー族の戦士、または酋長で、白人への植民地抵抗運動のシンボル的人物でもあるとのこと(wikipediaによる)。古典的カウボーイの父親はネイティブアメリカンの血筋なんだろうか。

余談:主人公のTS役の子役のカイル・キャトレット君は6か国語を話すことができ、マーシャルアーツ(武道)の選手権で7歳以下部門の世界チャンピオンに3年連続で輝いた経歴を持つとのこと(cinra.netより)。文武両道で本当に天才らしい。

《ヌーヴェルバーグSF対決》

【感想】ヌーヴェルバーグSF対決「華氏451」「アルファヴィル」初日の様子+感想!

シアター・イメージフォーラムにて。

本日2014年12月27日から開催の《ヌーヴェルバーグSF対決》の「華氏451」(フランソワ・トリュフォー)「アルファヴィル」(ジャン=リュック・ゴダール)を見てきた。1月16日までやっているのでお見逃しなく!

開場のシアター・イメージフォーラムに10:15分頃到着。開場は10:30だったので、缶コーヒーなどの見ながら待つ。待っている人は5-6名。しかもその人達は11:00上映の「パーソナル・ソング」のお客さんで、整理券番号1番は私だった。隣のスターバックスで「華氏451」上映時間11:30まで時間つぶし。バナナ(80円)を食べたり。

お客さんの入りは6割くらいのような気がした。朝だからだろうか。14:00の「アルファヴィル」も同じくらいだった。なので隣に一席あいた状態で見られた。

さて、ふたつを見終えた感想。ネタバレをするのでこれ以降ご注意ください。

どちらも行き過ぎた監視社会のディストピアから主人公が開放される話という点では共通している。また、ヴィジュアルエフェクトや大掛かりなガジェットがほとんど登場しない。

「華氏451」

主人公ガイ・モンターグは「ファイヤーマン(辞書的な意味では消防士)」という職業だが、火事を消化するわけではなく、人々から書物をとりあげて燃やす職業。(そもそも防火建築でほんとうの意味での消防士は存在しない)華氏451度は「紙が燃える温度」(日本でお馴染みの摂氏なら233度)人々は、書物を読まずに、テレビを見ている。テレビも、パーティでの席順マナーなど、娯楽的な要素が一切ない。そんな生活から、モンターグは隣人のクラリス(内緒で読書をしている)に惹かれながら、隠し持っていた書物を読み始め、監視社会から逃れていく。

まず、ちょっと否定的な感想を先に述べておくと、この映画は「本を読む人たち」の制限された欲求についての映画だ。しかし言葉や文字は当然存在する社会なので、言葉や文字が存在する以上、「本を読む人たち」だけではなく「本を書く人たち」の存在にもスポットを当ててしかるべきかと思う。本を書くことがどれほど制限されているかには触れられていない。また、小説や思想書、伝記が否定される理由は述べられていたが、技術書やマニュアル本などは一切触れられていない。監視社会にはあるはずだと思うけど。

しかし、クラリスとモンターグが最後に流れ着く「ブックマンたちの世界」のユートピアが面白い。書物が禁じられた世界で読書を楽しむために、人々は本を丸暗記している。◯◯の本は誰々に聞けば教えてくれる、という形で口承で読書を楽しむ。森のなかでうろうろと書物を諳んじながら、歩く人達。この光景は実は本を媒介とした読書よりも良い形の物語や知識の伝え方なのではないか、と何となく思う。おそらく物語や知識を人から教わりたるほうがよいのではないか。それが非効率的だから活版印刷以降、書物が活用されてるだけで。昔の日本でも書物の奥付に著者の住所があり、読者と著者がより直接的なコミュニケーションができていたそうだ。

さて、モンターグの妻・リンダとクラリスを一人二役で演じたジーン・セバーグが可愛い。
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ショートカットのクラリスのほうが好きだな。

余談:2004年にアメリカのマイケル・ムーアが制作した反ブッシュ映画「華氏911」(これは「自由が燃える温度」とのこと)のタイトルに、レイ・ブラッドベリが猛烈に怒っていた。「了解もなしに、数字だけを変えて題名を使った」、「恐ろしい人間だ」

「アルファヴィル」

<wikipediaより>

コードナンバー003を持つシークレット・エージェント、レミー・コーションは「フィガロ=プラウダ紙のジャーナリスト、イワン・ジョンソン」を名乗り、感情や思想の自由など個人主義的な思想が排除された都市・アルファヴィルへと潜入する。彼の目的は、失踪したエージェントのアンリ・ディクソンを探すこと、アルファヴィルを建設したフォン・ブラウン教授を逮捕または抹殺すること、アルファヴィルを管理する人工知能アルファ60を破壊することであった。

こちらはトリュフォーの「華氏451」が非常に淡々と物語を展開したのに対し、ゴダール節炸裂のワクワクギミックで吸い込まれていく。要は007や「2001年宇宙の旅」的なもの(実際には「2001年宇宙の旅」は「アルファヴィル」の3年後に作られるわけだが)を俺(ゴダール)がやったらこうなる、みたいな映画だ。アルファヴィルを管理する人工知能アルファ60は2001年宇宙の旅のHALを思い出す。

アルファ60の台詞でアルファヴィルが誕生した経緯が語られてたのが印象的だった。正確に記憶していないのだが

1という数字を知っていると2という数字をがあると人間は想像してしまう。なぜなら1+1は2だからだ。最初の「+」という概念を忘れ去っている。このようにして、人間は過去のロジックを破壊してきた。(もし違ったらごめんなさい)

演出やストーリー、映画の文法においてもロジカルさのさじ加減が基本的に固い。それなので時にあえて破綻させられていて、揺さぶられる。(とはいえこの映画はとても解りやすい)

ゴダールといえば、高校生の頃「勝手にしやがれ」を見て、全く理解できずにゴダール恐怖症になり、それから10年位食わず嫌いしていて、「女は女である」を何かのはずみで見た時、「なんだかわからないけどアンナ・カリーナがとてもかわいいポップな映画だ!」と安心した。今回もアンナ・カリーナは可愛さというより、ダークな美人さが際立った。

「アルファヴィル」の台詞をimdbのQuotesで見返して、こんなのがあった。正確にどの場面で入ったのか覚えていない。

Alpha 60: Sometimes reality is too complex for oral communication. But legend embodies it in a form which enables it to spread all over the world.(もともとの言語は勿論フランス語)

時として、現実は複雑すぎて口頭でのコミュニケーションでは伝わらない。しかし、言い伝えがそれを世界中に広がるほどの形に具現化させる。

「アルファヴィル」の台詞が奇しくも「華氏451」のラストにつながった気がする。

余談:村上春樹とゴダールの『アルファヴィル』に「村上春樹とゴダール」について、また「村上春樹はなぜラブホテルに『アルファヴィル』という名前を与えたか」について書かれています。両者がお好きな方はどうぞ。

gonegirl

【感想】「ゴーン・ガール」を見たよ!(ネタバレあり)

正直、名画座BOT&今日の名画座の管理人としては、感想を書くのが気が引ける。なぜなら、映画のウェブサービスを作っているくせに大して映画を見ていないからだ。しかし、名画座がどんどん潰れていく昨今、ついに新作封切館の新宿ミラノ座まで潰れてしまう(クロージング上映が凄いことになってるよ!みんな行こう)。

そんななか、「あの映画おもしろかったよ」とネットに書き散らすことが一番の宣伝になるんじゃないかと思い、書いてみることにする。ファミレスでだべってるのを書き起こしたような文章なので、ご笑覧というやつでお願いします。

デヴィッド・フィンチャー監督の「ゴーン・ガール」を見ました。以下、ネタバレ込みの感想を書くので、困る方は読み飛ばしていただきたくおもいます。またフィンチャー映画のことも書くので、そのネタバレを読みたくない方も。

——

総合的には「フィンチャーさんはいつも期待を裏切らない。(物語上は裏切られまくる)」。私は推理モノミステリーは割と苦手というか、「犯人がだれでもいいじゃん」と思ってしまうのだが、後半部からガラリと映画のジャンルが変わる辺りが見もので、そのストーリーテリングの巧みさに舌を巻いた。特に中盤部から夫婦間戦争、後半部からフィンチャーお得意のサイコパスモノに変わり、演出が冴える冴える。(ブライアン・デ・パルマが撮っていたらよりアンニュイでセクシーなファム・ファタールモノになっただろう。)エイミーがデジーをぶっ殺す時など、音楽(トレント・レズナー&アッティカス・ロス)も重苦しい不協和音も相まってボディーブローのように感情を打つ。

この映画を見たあと、ベン・アフレックってなんていい奴なんだ、と思った人も多いのではないか。

「エイミーに殺されるかもしれない。でも子供が生まれた以上責任があるだろ!」

この台詞であたかもベン・アフレックがいいやつかのような錯覚に陥る。ベン公はテイラーを演じているわけだが、演じ方もしゃべり方も浮気しちゃうところもメディアに叩かれるところも奥さんを怖がっているところも全部キャラに合っている気がする。ベン公がマジでやっているかのよう。

そして奥さんのエイミーはロザムンド・パイクだが、先述したようにストーリーに従って映画のジャンルが変わるにつれ、見事に演じ分けている。対照的。(全然関係ないけどロザムンド・パイクを初めて見たのは「007 ダイ・アナザー・デイ」で当時から可愛いな、と思ってました。)

話のラストは結局ソシオパス/サイコパスな妻と子供を育てる決意をするが、その先は必ずしも明るいものではないだろう。

さて、ネットのレビューを見るとこの映画は「大どんでん返し」の映画ということで、そこが賛否両論のようだが、やはり違うだろうと思う。先述したように「映画の途中でジャンルが変わる」のであり、そのストーリーテリングの巧さとテーマの一貫性だと思う。テーマとは勿論「結婚」だ。私は独身なので結婚は未踏の地だが、奇しくもベン公が言ったように奥さんに殺されるかもしれないけど、離婚したら子供が奥さんに殺されるかもしれない。だからあの物悲しいエンディングが良いわけで、これこそが最初からジャンルが変わっても通底したテーマだと思う。

ジャンルがジェットコースターのように変わってもテーマが一貫している映画で思い出すのが「チェンジリング」だ。ワーキングマザーモノ、女囚モノ(精神病院)、法廷モノ、サイコ・スリラーモノ、などジャンルを横断するストーリーテリングの技術とともにテーマが変わらず訴えるものがある。

フィンチャーとソシオバスたち

フィンチャーの映画にはエイミーのようなソシオパス/サイコパスがよく登場する。

ただ「ドラゴン・タトゥーの女」でも後半部にリスベットがミカエルに淡い恋心を抱くようになったように精神病質の主人公にも人間味を持たせている。「ソーシャル・ネットワーク」でもそうだ。サイコパスまではいかないソシオバスたちが人間らしく描かれている。

フィンチャーと愛すべきソシオバスたち

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なんていうコラージュを作ってみた。

フィンチャーの映画にはだいたいサイコパス/ソシオバスたちが、脇役で登場したり、主役で登場したり、悪役で登場したり、男性で登場したり、女性で登場したり、その都度変えている。

そうでない場合は「パニックルーム」や「ゲーム」のように主人公が精神的に追い詰められていく。

SE7ENの頃のフィンチャーのサイコパスの描き方からすると、ずいぶん円熟味を帯びて、優しい眼差しすら感じられる。

個人的にはパニック障害を患ったこともあるので、精神病っぽいものに惹かれるのかもしれない。友人に「パニック・ルーム」がおもしろかった!と言ったら否定されたが、パニック障害としては閉所に閉じ込められて「ヴァー---ー!!!!!」と叫ぶジョディ・フォスターを涙なしではみらないw

というわけで、このへんで。興味をもった人は是非新作映画館でも名画座でも!